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「三銃士」に開かれた知への扉|出会った小説:『三銃士』

三銃士に開かれた知への扉

当直室で休憩している時、DVDで「スラムドッグミリオネア」を観た。スラム街で育った主人公の少年が、テレビのクイズ番組に出演し、最高賞金を獲得するという映画だ。そのクイズ番組の最後の問題がこれだった。

「アレクサンドル・デュマ作の小説『三銃士』に出てくる三銃士は、ポトス、アラミス、とあと一人は?」

少年は、苦笑いを浮かべて、電話をかける。このクイズ番組では一度だけ誰かに電話をかけて助言を求める事が許される。電話をかけた先は、マフィアに捕まっている主人公の恋人だった。しかし、主人公は答えを知っていたので、教えてもらう必要はなかった。恋人と話をしてお互いの無事と想いを伝えるためだけに電話をかけたのだ。そして、彼女が無事であるのを確認すると電話を切り、クイズに正解した。彼はテレビに出ることで自分の存在を恋人にアピールする事と、最高賞金を得る事を同時にやってのけたのだ。最後まで恋の行方と番組の展開にドキドキする映画だった。

当直が明けて、長めの休暇を取り、かねて計画していたシンガポールへ一人旅に出かけた。その出発前に書店に立ち寄り『三銃士』を買った。どうしても買わなければという衝動に駆られたのだ。そして、移動のバスの中で、機内で、旅先のホテルで、それを読み耽っていた。元来、観光地巡りをするよりも、気に入った風景の中でのんびりと過ごすのが旅のスタイルだったので、時間はたっぷりとあり、数日の滞在中に読書を終えた。

この長編を読み終えた満足感に浸った後、なぜ、急にこの本を買おうと思い立ったかを考えてみた。

私は、映画に熱中すると、主人公に自分を置き換えてみる癖がある。映画の主人公は、スラム街の学校で三銃士の話を聞きかじり、それを後に活かしていた。彼は、貧しくて勉強する機会が少なかったにも関わらず、生きていく中で小さな知恵を多く得て、それが随所に主人公や仲間を助ける事に繋がった。それに対して、自分は十数年間も勉強をさせてもらったのに、何も知らない。文学作品も読んだことがなかった。この、誰もがタイトルは知っている小説の中身さえも。自分が映画の主人公の立場だったら、きっと、三銃士のクイズには答えられない。主人公は知識でピンチを切り抜けるシーンがいくつもある。それらは、私には何一つ乗り切れそうにない。羞恥心が私を襲い、焦りが生まれた。

本を買ったのは、きっと、映画の中で出たクイズの答えが知りたいだけではなかったろう。その背景には、自分は何も知らずに生きてきて、このままだと、人生に困難が生じた時に行き詰まってしまうという危機感を抱いたのだと思う。

この映画を観たのは、医師になって数年の頃だった。学生の頃、勉強はしていたし、医師になっても医学書や科学の本はよく読んでいたと思う。しかし、その他の知識となると、幼少時に歴史の本は読んでいたものの、文学を始めとする芸術一般には触れたことがなかった。この映画は、偏った知識で人生をこれからも送っていく怖さと恥ずかしさを感じさせてくれたと思う。

知識はアイデアの源泉となり、人はそこから生き残る道を切り開くことができる。しかし、どこでどのような知識が役に立つのかは誰にもわからない。自分の偏った知識だけで歳を取ることはきっと間違っている、そう思った。

「三銃士」は、ワクワクする展開の連続だった。この書で文学の楽しさを味わう事で、他の小説を読むきっかけになったと思う。きっと喜び、感動、怒りといった小説の世界を味わった時の感情が、記憶に定着する知識になるのだろう。クイズでは人名を答えるだけだったが、あれは一つの例示であって、主人公はきっと文学作品から、生き方や知恵をも学んでいるはず、そう空想する。

そう言えば、私が東日本大震災の時、東北地方に単身で医療活動に向かったのは、戦国武将だった徳川家康のエピソードが頭に残っていたからだった。彼は若い頃に、勝算の薄い戦いに、わざわざ危険を冒して出撃したことがあり、それは将来を見据えての事だったという。私も、そのエピソードから、無理をしてでも活動に向かわねばと思ったのだ。

昔から頭の良い人に憧れていた。それも、ただ知識をひけらかすだけの人ではなく、ここぞというところで、知識を応用できる人間に。映画の主人公は随所で過去に学んだ経験、辛い体験、教えを使ってピンチを乗り越えていた。私もそんな人間になりたい。そこでまずは「三銃士」から始めて、色々な知識を吸収しよう。そう思った次第である。


出会った小説:『三銃士』

著者:アレクサンドル・デュマ