ブローティガン自体は読みたい
なんだかおかしい家庭で家にいるときも心休まらず学校もただ耐える場所という認識のタイプの中学生はヤンキーだとか不良になるのかもしれない。わたしの場合は当時そのようにわかりやすく発露することがあまり得意ではなかった。家を出て学校をサボっても行くあてもなくだいたい本屋で立ち読みするか神社へ行きアイアン・メイデンを聴きながら 人のいない神社で図書館で借りた本を読むかだった。
わたしは当時文章や散文、詩、短歌のようなものを書くことにはまっており、馴染めない学校にいるときはよく文房具屋で買った五ミリ方眼紙にカリカリと細いボールペンで何かを書いていた。そしてそれをネットのそういう場所に投稿したりなどしてリアクションをもらっては自分の心の慰めにしていた。
オフ会というものがあると知り初めて参加したのもその頃である。作品を投稿したり文学に傾倒している人間が何人か集まるところに混ぜてもらって嬉しかった。普通に楽しく話せることってあるんだなと思った。そのうちその中でも特に親しくなる人がいた。
わたしは手紙を書くことが大好きだったので住んでいる場所が離れているその人によくお気に入りの五ミリ方眼紙で手紙を書いた。その人もたくさんの手紙をくれた。学校は好きでないままだったが教室に行き授業中にカリカリと手紙を書いていると馴染めなくとも耐えられた。同時にメールなどもよくしていた。
お互い好きな作家や作品について語ることが多かった。好きな作家や作品について熱心に語ることはとても楽しかった。そのとき教えてもらった作家の中にブローティガンがいた。
わたしはブローティガンの「西瓜糖の日々」の原文をその人が自ら日本語訳したものをもらった。当時翻訳されたものが出版されていたのかどうかはわからない。その人が訳したものしか知らなかったからだ。コピー用紙が何枚も重なっていて何ミリかになってたくらいには分厚かったと思う。
感想としては「あの人が好きそうな感じだな」と思ったくらいしか覚えていない。村上春樹が大好きな人はたしかに好きなのかもとか。そのくらいしか内容についての感想は思い出せない。ただ自ずから訳したものをわたしのために用意し渡すということの重みが嬉しかった。何か尊いやりとりをしている気がした。二人だけで何度か会って都会の本屋や古書店を見たりなどいわゆる楽しいデートもした。幸薄そうでミステリアスなかっこいい人で、そんな見た目も中身も「尊い人だ」と思っていた。そう思っているこの人がわたしのことを好きというのは奇跡のように思われた。
交際を申し込まれたのでわたしは喜んで付き合った。当時のわたしには紛れもなく大切な大事な人で大好きな人であった。だがわたしは十四歳から十五歳になったくらいの人間で付き合うという状況が起こったのもわたしにとっては初めてであり相手は確か二二歳くらいであった。未熟なわたしは付き合うとそれまでとは相手の接し方が変わったのがなんだか非常に嫌に感じて早い段階からうまくいかなかった。
自分が大人になって当時のことを思うと色々考えてしまう。
(そもそもそんな年齢の子に大人は手を出してはいけない。)
ブローティガンの「西瓜糖の日々」はそれから一度も読んでいない。
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